中小企業診断士1次試験 その2
中小企業診断士1次試験 その1で過去問1年分/週×4 を実施したわけですがそのときの実施結果+本番の結果を参考に記録しておきます。
H.23年度
経済 50点
財務 52点
企業経営 56点
運営管理 55点
経営法務 66点
情報システム 68点
中小企業政策 45点 合計 398点
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・・・うーん 経済・財務・運営管理・中小企業政策は上昇余地あるはず
法務と情報システムはできすぎ。企業経営は60点切るのショック ちょっと見直し
H.24年度
経済 74点
財務 52点
企業経営 63点
運営管理 60点
経営法務 56点
情報システム 56点
中小企業政策 43点 合計 406点
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お!経済上昇、運営管理も60点クリア 経営法務・情報システムは落ちたけどどうだろう?問題に依って分散大きそうだから60点平均くらいで見ておこう。財務、運営管理の理解があまいのは実感している・・中小企業政策は短期で勝負のところの上積みができるはず。
H.25年度
経済 60点
財務 57点
企業経営 63点
運営管理 62点
経営法務 53点
情報システム 72点
中小企業政策 45点 合計 412点
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おし。財務も難しいけど底上げはできたっぽいし、これで中小企業政策の短期記憶インプットで合格ライン420点の勝負できるところまできた。
しかし法務ムズイな。今更だけど。あと3週間やし 信じたやり方で行くしかない。
H.26年度
経済 72点
財務 52点
企業経営 62点
運営管理 62点
経営法務 56点
情報システム 56点
中小企業政策 67点 合計 427点
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よーし!よしよし!!ついに合格ライン越えたぞ!!!
想定通り中小企業政策短期インプットでの上積み作戦☆
でも・・・法務、情報システム、財務 落ちてるやん・・
まーひとまず勝負できるラインには来たということで 祝
H.27年度
経済 54点
財務 72点
企業経営 76点
運営管理 62点
経営法務 48点
情報システム 44点
中小企業政策 47点 合計 405点
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...言い訳をしましょう。もう嫌がってるんです。何時間も試験するの。
短期記憶ってやっぱり短期だったんだね。
法務と情報システム、ブレ大きくないですか・・?H27きっついなぁ
でも足りないと思った財務はこの1週間やってたからこれまでの最高点だ!
前向きにいこう。。
冷静に想像してみよう
経済 60-70点
財務 55-65点
企業経営 60-70点
運営管理 55-65点
経営法務 50点
情報システム 55-65点
中小企業政策 60-70点 合計 395-435点
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たぶんこんな感じかなぁ
余裕ではないがチャンスはあるという感じか。当日の集中力の向上期待を含めて五分五分というところで 笑
この期間でここまでもってこれたことを褒めよう。うん。
やっぱりここからはもう信じて法務・中小企業政策の短期記憶分野に集中!
H.28年度 本番
経済 60点
財務 68点
企業経営 68点
運営管理 54点
経営法務 40点
情報システム 68点
中小企業政策 65点 合計 423点
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経営法務アブなっ!セーフ!財務と情報システムの想定以上の出来に救われてなんとか短期決戦に勝ちました!
緊張の自己採点・・さすがに法務で諦めモード・・・あれ?越えてる・・・?
何回も採点間違いないか確認しました。
自己採点中、運営管理と法務でもうダメだと思いましたもん。
というか試験中も運営管理・法務・情報システムと次々進むんですが、手応えなさすぎて完全にメンタルがやられました。「諦めるな」と言い聞かせてなんとか最後まで全力で対応したんですが、あのとき諦めなくてよかった。正直情報システム 奇跡だわ。
最後まで息を飲んで経営法務も総合得点もギリギリですが、合格です!結果オーライ!
※最終的にこの年は得点調整が入って413点が合格ラインとなりました。(そんなこともあるの!?採点ミス、回答ミスの心配が減りました!)
というわけで過去問から本番までの軌跡でした。
これからの方、諦めずに最後まで!
中小企業診断士1次試験 その1
診断士の勉強ね、一回振り返っておいても良いかなと思って記録します。
2017年に1次試験合格しました。
かなりタイトなスケジュールで約3か月、ひとまず下記な感じだっと思う。
周りの人の話を聞く限りかなり短期間なので相当効率を求めている人くらいしか参考にならないかもしれません。
【一次試験 取組み概要】
教材:TAC の スピードテキスト スピード問題集 過去問集 中小企業白書
期間:5月初旬~8月初旬
勉強時間:約500時間(40時間/週 程度) 13週間くらい
※出勤前・出勤後 空いている時間はほぼ勉強している状態
スペック:IT関連は仕事でかじっている 法務は宅建試験レベルで1度経験
経営・経済は学生時代に触れたことがある
1.過去問1年分(2-3年前くらいのもの)をやってみる
・現状把握、作戦検討
・僕の場合、企業経営・情シスは最悪やらなくてもいけると判断。あとやってもあまり点が伸びないとも感じた。
・法務と中小企業政策あたりは直前の短期記憶で勝負しようと判断。でも中小企業政策はやれば結構点とれそうだからちゃんとやろうと決めた。
・経済、運営管理、財務は真面目にやんないとダメだなと感じた。経済は頑張れば高得点取れそうだし。ここにひとまず注力。
2.テキスト+問題集を7科目分7週間で実施
・全体把握、インプット、エクササイズ
・テキスト一読⇒問題集(間違えたところ、気になったところのみ3回くらい解く)
・実際には経済、運営管理、財務を前半戦にして時間を掛けた(各1w-2wくらい?) 逆に経営管理や情シス、法務、中小企業政策は残り時間で流して数日で処理。
・中小企業政策は最後、まだ慌てる時間ではない。
・問題集はすべての選択肢について確認して裏付けを理解する。
・とにかく時間がなかったからスピード勝負、図解が必要な部分以外は書いたりせずほぼ黙読で実施(間違えたところ、見直すところだけはチェック付けとく)
3.改めてテキストや問題集を流し読み。※約1週間
・理解が難しかったポイントや中小企業政策など確認(試験を受ける為の頭の整理)
4.過去問1年分/週×4 実施。最新の前年度過去問を除く4年分
・過去問→合格ライン確認→理解度合いを棚卸、足りないところは追加勉強/週×4
※ポイント 時間内に終わらなくても最後まで解く
・時間内にどの程度できたか(今の実力) + 時間が掛ければできた内容(時間配分によるポテンシャル)=合格点にあればイケるっしょ
※過去問訓練で実力底上げを。最後には時間配分によるポテンシャルは0に。
・土日に試験同様に時間を測って過去問実施。その後の平日で追加勉強 の繰り返しで強化。
・なんとか4年分をやって、ある程度合格ラインいけるんじゃない くらいに・・
5.ラスト、最新の前年度の過去問で仕上げと白書
・最新の前年度の過去問に真剣に臨む(試験1w前の土日) → 改めて棚卸、チェック
・過去に間違えた過去問や問題集、振り返り
・時間があれば一度白書を見通す。概要だけは目を通す
・中小企業政策は短期記憶、最後まであきらめずに振り返り
以上、このスケジュールが限界だった。あとかなり苦しかった記憶がある。
できれば余裕をもって・・。
休職からのV字復活
今でもいつ適応障害が襲ってくるか不安です。
常に自分の心の状態には気を配っています。
そこに負荷のかかることはできるだけ避けています。
自分と対話をたくさんして、なんとかしがみついて”普通”っぽい生活をしています。
強制復帰期間を経て、良縁にも恵まれて、僕は休職期間に気づき始めていた自分の仕事観ややりたいことがどんどん明確になる期間を過ごしていました。
プロジェクトが失敗に終わりお偉方が退場して最後は僕が後始末までやるしかないという状況もあったし。僕自身が新しい取り組みを企画して立ち上げるということもありました。
意思表示をきちんとするようになったこと。
意思表示したことに責任を持つこと。
1番大事なのは家族 次は自分の価値観
泥水はすすれる
いつ会社を辞めることになってもいいように社外でも言える実績を積み上げる
常に僕が意識していることです。
違うと思ったらそれを伝え、良いと思ったらそれを伝え、提案したいことがあれば提案する。やりたいことがあれば企画して起案する。
やりたいこと、遂行能力への説得力を持たせるために 公的資格も取得したりしました。どんな手を使ってでも「やりたいことをやる」、いえ「やりたくないことを極力やらない」ようにしました。労働条件やミッションも交渉だと思っています。自分の実績を可視化して伝えるようになりましたし1つ1つの仕事に対して自分にとっての優先度を意識するようになりました。
そんな風にしかもう生きられません、少し意地になっている部分もあったかもしれませんがそんな5年を過ごしました。
不思議なものでそんな意地っ張りな生活をしていたら「やりたいこと」が仕事の中で多くなってきて、楽しい経験をたくさんさせてもらえるようになりました。興味もあるので勉強もするしアイデアも出すし自らやるし・・・あっという間に時間が過ぎていきました。そして気づきました、振り向くとそこに自分で意識して作ってきたと言える道ができていたのです。
今会社で僕のことを腫物扱いする人はいません。
どちらかというと「やりたいことばっかり楽しそうにやってる変なやつがいる」と腫物扱いされていますが・・
この5年、ありがたいことに社内表彰が2回 昇進が2回ほどありました。
2回目の昇進時に以前言われた「評価されないことを病気のせいにするな」という言葉を思い出しながら「あんたの言うとおりだったわ。ありがとう。」と妻へ伝えました。
妻は「ほんとによく頑張ったね、あの時不安でいっぱいでなんて声をかけてあげればいいかわからなかった。今こうして毎日楽しそうに、家族でも楽しく過ごせているなんて、そんな日がくることなんて想像していなかった。本当に、がんばってよかったね。きっとあのとき休んだこと、大正解だったんだよね、すごいね」と言ってくれました。
僕は大号泣です。まー人知れず車の中でですが。
僕は自慢がしたいわけじゃありません。ただ、今苦しくて休職するかを悩んでいる人へ、それによって将来を不安視している休職中のサラリーマンの人、ちょっとくらい休んでも大丈夫です。そのあとは人の視線は確かに痛いです、でも、大丈夫です。前以上に精力的に働くこともできます。
今僕は同じく苦しんでいる人がいたら大丈夫だよと言える上司になりたいと思っています。それがきっと糧になると思うから。経験済みの上司が1人くらいいれば救われる人がいるかもしれない。僕にできるのはそのくらいです。
実際にマナーを守って誠意をもって休みましょう。そこで充電して再スタートすればよいです。自分の生き方を見直すチャンスです。無理してたんですよ、きっと。僕は今でもうまくしゃべれません。でももういいです。練習してたくさん勉強して前よりできるようになったことがたくさんあります。多分前よりも優秀です 笑 たぶん
ちなみに僕は議事録作成が転機になったと思っていますが、1つ1つの仕事で相手が求めている最低限のことをこなしたうえで”自分の意思を載せて”"提案"を入れていくこと、そうすると仕事につながります。提案者に発注がきます。これがサラリーマンがやりたいことをかなえていくポイントだなぁとつくづく思います。これは参考までに。
起業をする勇気はありませんが
これからもできることを増やして楽しく穏やかな生活を
家族第一優先で送っていきたいと思います。
この内容が1つの事例として少しでも今悩んでいる人の参考になればと思って記録しておきます。
以降は趣味とか資格とかの内容かなぁと思いますが、ご関心ある方はお付き合いくださいね。
「万事塞翁が馬」 と言えるような未来を創っていけばいい。
かなりピンチだけど「機会」であり「チャンス」
だって もはやどん底だから。
まずは今を受け入れろ。そして泥をすすってでも生きろ。
強制復帰
新組織立ち上げミッションスタートからすでに1か月。ショムニ生活から一転、なぜか新人コンサルタントとしてプロジェクトに入りお客さんへ食らいつく日々を過ごしていました。毎週出張、めちゃくちゃ考えることたくさんだしめちゃくちゃ納期きっつい・・・営業のときより確実に頭使いまくりやなこれ。数字の厳しさとはまた違うきつさやなぁ。。
そうです新組織立ち上げですが、具体的にどうするべきなのか現場に入ってまずは自ら理解しろということで新規事業として進めていた道なき道を切り開くプロジェクトにコンサルタントとして投げ込まれていたのです。
でも僕にはこっちのほうがそこまで心は苦じゃないかもとも思いつつ。めちゃくちゃハードな毎日です。あれ?まだまだリハビリ期間だし、そもそも静かに過ごしていくんじゃなかったっけ??
コンサルタントなので必然的にお客さんともパートナーともかなり密なコミュニケーション、議論、納得解を見出していくプロセスが必要です。
「あれ?僕、人としゃべれないんですけど」
かなり焦りました。でもお客さんは待ってくれません。
何度も何度もカンペをつくって、ありったけのQAを想定して紙に書いて・・
今までだったらそんなことしなくてもペラペラしゃべれたのに・・
でもそんなことは言ってられません。なんとかするしかありません。
そんな日々がすさまじい勢いで過ぎていきました。その間いろんな経験を無理やりさせられました。国内外いろんな場所にいっていろんなビジネスや市場環境を見ましたし。
公的資格もはじめて取りましたし。
何よりうれしかったのはお客さんやパートナーが「よくやってくれてありがとう」と言ってくれたことでした。
そうです、強制的に話をしなければいけない環境に身を置いたことで、いつの間にか僕はなんとなく「復活したかも」と思えるくらいの状態になっていたのです。悩む余裕がなかったことが幸いして。
話は相変わらずうまくありませんけどね。いいんです、以前に戻せるとは思っていません、ゼロからのスタートです。今の自分を認めて少しずつ成長していこうと思います。
ショムニからの脱却
異動した後は一応携わりたかった戦略関係の部署。とは名ばかりの僕の仕事はさまざまな手から溢れた雑用です。備品の管理をしたり、営業マンのPCの設定をみてあげたり、アカウントを管理したり。。
そんな生活が半年ほど続いていました。
幸いだったのはそこにいた定年間近のおっちゃんが一度飲みに行ったことをきっかけにお客さんに連れて行ってくれたり、新しい市場の考え方や戦略部隊のやるべきことなんかを独自理論で合ってるかわからないんだけど、なぜか一生懸命教えてくれるようになったことです。そこで備品管理しかやっていなかった僕ははじめてお客様単体ではなく「戦略」や「市場」について考えるという機会に触れるのでした。
なお、この頃に奥さんから叱咤激励を受けています。
僕「このままずっと雑用ばっかりで評価もされず出世もしない・・ごめんな」
妻「評価されないのを病気のせいにするな。優秀なら評価される。評価される人はされ
るしされない人はされない。ただそれだけ。(たぶん 知らんけど)」
ガツーンときました。
実は僕は経営学について学生時代に少しかじっています。(いや結構かじっています。)
このときその頃のことを振り返りながら市場調査を進め、営業経験も踏まえながら見解
を伝える様になりました。(確かにこういうことやりたかったような・・・)
本業のショムニの傍らシニアの方を通してそんな活動をして半年・・・今回は課長を中心とした部署横断的な、次年度以降の取り組みに関する会議の議事録を取るよう命じられました。
いつまでこんなことをしているんでしょうか。はぁ。
なんとか言いたい放題のまとまりのない議論の議事録をまとめて・・・第2回・第3回と続きます。この会議やばいなぁまとめるの大変・・。
第4回・・「前回どんな内容だったけ?」・・「〇〇です」
第5回・・「結局どういう結論?どう思う?」・・「まとめると〇〇じゃないですか」
第?回後・・「あとお前まとめといて、社長に報告するから」
えー!!なんにもまとまってないじゃん
なんとか頑張って整えます。関係各所に内容について確認してもらい、最後の最後いざというときに上司が不在です。もうこうなったら自分を信じるしかありません。
最終的に僕から幹部へ提出となったわけですが、これが転機となるのでした。
その提出した内容は組織変更、方針に関わる内容だったのですが
ある日そこを担当する幹部から連絡があり
「お前が作ったんだからお前が担当しろ」と・・んー??そういうこと?
ここで一気に新規組織立ち上げというミッションに変わったのです。
こうして僕のリハビリ期間は終了し、強制復帰期間へと突入するのでした。
泥水をすすりながら
復職初日です。さすがに緊張しました。
なんとか会社に行って、なんとかみんなに挨拶をして、なんとか帰りの電車によって帰ってくる。まずはそれができたら良しとしよう。
そうです。もはや僕は人ともしゃべれなくなっていましたから。そして休んだことにより「会社に行く」ことすら普通にできない状況です。途中で帰ってもよいという前提で家を出ています。
あんなに営業していた人間が変われば変わるものです。
でももう止めました。あの頃の自分はもういませんし、たぶん戻せません。今の自分を受け入れて、認めて、そこが現在地の能力です。もう止めましょう過去にできたことを求めるのは。これからできることを1つずつ増やしていけばいいです。・・・今はまずは会社に行って帰るのです。
なんとか1週間会社に行って、帰ってきます。でもそれだけでとても苦しいですしとても悔しいですしプライドもやっぱりズタズタです。会社での作業は資料整理だけです。もちろん引継ぎ含めてなのでほとんど僕の過去資料の段ボールの山なんですが・・・あんなに慌ただしくいろんな仕事をしていたのに、今は資料の整理だけして会議にも呼ばれずみんなに気を遣われて1日を終えるのです。
「こりゃさすがにきっついなー」
泥水すすると覚悟を決めていましたがさすがに厳しい毎日です。
そこから異動をするのですがこのプライドズタズタ期間、ショムニ期間が半年ほど続くのでした。
ぜいたくは言えませんがね。
復職
復職できる?かもしれない意向を固めた僕は復職面談に臨みます。突然休職して早2か月久しぶりに出社をするのです。
「めちゃくちゃ行きたくありません」
でも決意したこと、気づいたことはしっかり伝えるつもりでいました。
①復職を希望する
②異動を希望する
家族を大事にすることが優先順位で1番目と気づき始めたあと、仕事観もなんとなくわかってきていました。「やりたいと思ったことをやる」ことが僕にとってとても大事だったということが。自分の意思や感性を押し殺してそつなくこなして評価される。それだけの生活。「お前やりたいこと全然やってないやないかい エネルギーの使い方が逆噴射で全然方向ちゃうやんけ」だからか・・・もっと自分のやりたいように、わがままでいいんじゃないか、意思を大事にしよう。
ゼロからでもいい"職種変更を希望しよう"
「めちゃくちゃ行きたくありません」
正直怖いです。会社の最寄り駅についたときは「やっぱり帰ろう」と思いましたし、道すがら、ビルのエレベーター、「誰にも会いませんように・・」と祈るばかりでした。でもここで帰ったら二度と来れない気がしました。そっちのほうが怖くて、なんとか静かに誰にも気づかれないように医務室へたどり着きました。
医務室ではこの2か月の生活や現状についてできるだけ明るく報告します。そして「翌月から復職する」方向で幹部たちと調整するということになりました。ひとまずミッション①をクリアです。
次に現所属部署のボスと会うかどうか聞かれます。異動希望についてはお医者さんから伝えてもよいということになっていたんですがなんとなくそういうのは自分で言いたいですし逃げたら逃げっぱなしだと思い復職報告もかねて呼んでもらいました。
思いのほかボスは復職を喜んでくれると同時に謝罪をしてくれました。「気づかなくてすまない」と。そして私自身の意向として異動希望を申し出ました。できるだけ意向に沿うよう動くということを言っていただきました。ミッション②も頑張ってクリアしました。ちゃんと自分の意向を伝えるって大事だなぁ・・会社でわがまま言ったの初めてかもしれんと思っていた矢先、ボスから「せっかくだからみんなに顔みせてやれ」と!!!
だからさぁ、そういうの無理なんだって!もう静かに誰にも気づかれずに過ごしていくんだから!
まぁさすがに断れません。こういうところがまだまだです。
吐くかと思いました。でも、もう決めたのです。泥水すすってでも会社行くし何があっ
ても逃げずに食らいつく。
久しぶりにみんなに会いました。みんなが喜んでくれました。あれ?こんなにあったかい職場だったけ・・?
そこから14日後が復職日と決まりました。そして1週間現職場で慣らしてその後異動。そういう段取りとなりました。「会社段取り良すぎじゃないですかー?」ボスからは「さすがにすべて意向通りとはならなかったけど意向に近い部署と調整しといたから頑張れ」と連絡です。
こうして僕は晴れて復職することとなったのです。
ボス含めて僕が早く復帰しやすくなるように無理やりみんなの前に引っ張り出してくれたり段取り進めてくれていたり・・後から思い返すたびに感謝です。
ちなみに休みの期間ですが僕はこのときはまだ「もう少し時間が欲しい」と思っていて復職の日が具体的に決まったときも間に合うかどうか不安でいっぱいでした。
そこから一生懸命というと変ですが、リラックスに努めて、家族と目いっぱい時間を過ごして自分の意思を固めていきました。
最終的に2.5か月ほどの休職期間となったのですが、期間としては3か月くらいほしかったというのが本音です。これは人それぞれですし重症度によると思いますが、下記のようなイメージで過ごしました。各ステージ1か月くらいは欲しいなと思いました。
1stステージ:とにかく休む。半分放心状態。
深く考えず旅行にでも出てもよい。
とにかくなにもせず心のエネルギーを取り戻す時間が必要
(これまでよく頑張りました。大丈夫です、今は休んでください。)
2ndステージ:部屋を掃除して規則正しい生活をしてみる。これができたら一歩前進。
変わらずリラックス、エネルギー回復に努める。
おそらく段々思考が回復してきています。
ストレス原因を明確にして対応方針を検討してみましょう。
3rdステージ:腹を決めて準備をする期間
対応方針に沿っていろんな決断や判断をしましょう。
これにはエネルギーが必要です。
1stステージから継続して十分に回復に努めます。
「 心のエネルギー」が枯渇した状態というフレーズをお医者さんからいただきましたが、まさにそんな状態からの脱出が大切でした。この期間はまずは自分を甘やかしてあげてください。そしてエネルギーが溜まってきたと思ってからでよいです少しずつ自分を律してください。大丈夫です。