気づき
慌ただしい期間が続いていたためか僕の気持ちは一向に上向きません。まだ頭の中が整理できません。。でも慌ただしかったからこそ長い休みに対してソフトランディングできたのかもしれません。
休職から1か月ほど経過した頃、なかなか整理がつかず焦り始めていた僕は真面目に心を休ませることに集中しました。差し迫った「やらないといけないこと」をほとんどなくしました。そして心の赴くままに過ごしました。ひとまずやりたいと思ったことだけをやろうという生活を続けてみたのです。
そこから2週間ほど、不思議とだんだん思考力や感情が復活してきました。
今はとにかくこれまでないがしろにしてきた家族とたくさん過ごしたい、こんな長期で休める期間は普通はあり得ない。だったら今のこの時間をめいっぱい活用して楽しみたい。いつの間にかそう考えるようになっていました。
今思えば初めてかもしれません、こんなに家族と一緒に多くの時間を過ごしたのは。こんなにたくさん話をしたのは。こんなにしっかり子供の顔を見たのは・・・そして家族は人目を避ける生活にずっと一緒に付き合ってくれます。
そんな生活を送っていると下記のような感情が突如として湧きおこりました。
あれ?今までなんであんなに仕事ばっかり優先してしまっていたんだろう
この家族の顔をちゃんと見ることができることのほうがよっぽど大事じゃない?
うわー。所詮仕事だわ・・この人たちの生活を守れるなら僕のプライドとかどうでもよくない?
あ、わかった。俺仕事行こう。所詮会社だし、一回は辞めようと決意した会社。今は病気もしちゃったし、お金もらえるなら泥水すすってでもしがみついてやろう 一番大事なのは間違いない、家族だ。
なんとなくわかってきていました。「やりたいと思ったことをやる」ことが僕にとってとても大事だったということが。自分の意思や感性を押し殺してそつなくこなして評価される。それだけの生活。「お前やりたいこと全然やってないやないかい エネルギーの使い方が逆噴射で全然方向ちゃうやんけ」だからか・・・
休職生活
突然始まった休職生活ですが最初はとっても忙しくて・・・実は少し前にマイホームを契約しておりお引っ越し。これまで何もしてこなかった分ここぞとばかりに時間を掛けて整えました。
「将来どうなるかわからないから」こそ「もういいや家買っとけ」としたわけなんですがまさかホントにこんな状態にになるとは思ってなかったもので・・でも ま いっか。めちゃくちゃ将来が不安なんですが 気持ちは落ち込む暇もなく忙しく、割とテンション高く過ぎていきました。
気づけば2週間が経過していました。一応僕は最短の2か月で会社に戻るつもりでした。それはちょうど年度区切りのタイミングというのもありいずれにしても最初のタイミングで戻らないと、そのあとどのくらい時間が掛かるかわからないという漠然とした不安があったからです。あと、親族含めて隣近所、友人 誰にも休職のことは言っていません、言えません。心配もかけたくありませんし僕自身に恥ずかさ、プライドがあり耐えられません。人目を避ける生活は僕、家族ともに長期は無理だと思っていました。
毎日考えます。「本当に休んでよかったんだろうか」「仕事を休んで大丈夫だったのか」「なんでこんなことになったんだろう」「また戻れるのか」「また同じところに戻るのか」「耐えられるのか」「生活がたちゆかなくなるんじゃないか」「復帰するってなるとめちゃくちゃきまずいんたろうなぁ」・・・・・・・あれ?ホントに2か月後に会社に行けるのか??
会社に行ける自信がまったく湧きません。みんなの白い目を想像するだけで耐えられません。きっと人事評価も最低で、そのあともきっとなかなか評価はあがらないでしょう。仕事も責任ある仕事は任せづらいでしょう。ずっと窓際で白い目で見られて過ごす会社員生活しか想像できません。同じような境遇の人が変な気遣いを受けるという場面を目にしたこともあるし自分自身が当事者となったこともあります。きっと腫物扱いとなるでしょう・・・・「いや無理じゃない?全然行きたくない。」
診断
「幽霊」
その頃の僕の職場でのあだ名です。
決していじめられていて悪意があったということではありません。
幸い職場の同僚には恵まれていて、
心配の声として「幽霊みたいになってるぞ、ホントに大丈夫か」と。
なんとか平静を保ち、仕事の品質を維持していた僕に最後の刺客が現れます。
「無責任」「業界知識ゼロ」でも「何か口出ししたい」新任上司です。
もうぶつかるぶつかる。すべてに説明・解説を求められ、仕事が進まない。
なんだこれ
・半端じゃない歯ぎしりを家族に指摘されます。
・毎朝起きるときに大声やうめき声を出すようになりました。
・同じことを何度も聞かないと理解できなくなりました。
・同じことを何度も繰り返すようになりました。
・人にうまく話をすることができなくなりました。
・見える景色はモノクロです。
・頭がまったく働きません。
ある日会社から妻に電話を掛けました
私 「ごめん、俺もう無理や もう辞めるわ」
妻 「うん、ええよ。もう見てて辛い 体のほうが大事や 何ならウチが食わしたる」
泣きました。はじめて。
・・でそのまま辞められたら楽だったんですが
その頃すでに私の状態があまりにも悪いということが問題視されていて
「お前 病院行ってこい」と会社命令がくだります。
「えーもう辞めさせてよー」と思いつつその足で心療内科へ行きました。
何をお話したかまったく覚えていませんが、驚いたのはそこで「適応障害」という診断がおりたことです。ショックでした。薬の処方はなんとか拒否しましたが怖くてたまらなかったことを覚えています。
「なんだ適応障害って?治るのか?」「できるだけすぐに会社を休んで休養することって言われても・・どうすんだ?」
そのまま会社へ報告します。すると次は社内の医師の診断です。
すると驚いたことにその医師は
「典型的な適応障害です。明日からでも自宅療養するように」と言うのです。
やっぱりそうなんだ・・・さすがにすぐに休めないので、引継ぎ期間をもらって急ぎ周囲・顧客へ説明してまわり、なんとかプロジェクトや細かい業務を引継いで、有無を言わさず"休職"へと突入するのでした。
病院に行ってから休職するまでが早すぎて理解がついていけていませんでしたが、そもそも辞めるつもりだったので休職は素直に受け入れられました。
でもなんでこーなったんだ。。?
ただ、後から振り返ると気にかけていただいた同僚の皆さんや先生方の強い提案によって休職という選択ができてとても救われました。
あそこで辞めていなかったから休職後にトライできる道が残っていました。
①病院にいく
②医師の判断に沿って休む判断をする
③引継ぎをしてから休む
今思えばこの一連のギリギリ最低限のビジネスマナーを守った行動が
実は復帰をするときの心理的ハードルを下げてくれたなとも思います。
そしてもう1つ ④会社には休職の制度がある
同じような環境の人もいるかもしれません。そんな人に伝えたい。
せっかくのサラリーマンです、いいですよ、会社の制度は大いに利用しましょう。
と、こうして私の休職生活がはじまるのでした。
違和感
今思えば自分の中にある「違和感」を放置して見ないふりをしてきたツケが回ってきたのかな。
思えば新卒で営業職に就いたときから「違和感」があったことには気づいていました。
でもその「違和感」に"向き合わないこと"を正当化して「営業スキルも大事。いつかやりたい仕事ができる」と言い聞かせて懸命に仕事をこなし続けました。
気づけば8年9年・・・順調に営業マンのステップを踏んでおりました。
あれ?僕は営業マンになりたかったのか?
ある程度責任のある立場になり、さらにもう1段・・・マテ
評価も悪くなく、このまま営業部を背負って立つ次世代の・・・・待て待て待て待て!
このまま営業として生きていくのか?ただこの雰囲気、もう抜けられなくなるのでは
いいのかそれで?やりたかったことと違うんじゃないか?
どうする どうする どう・・・
当時 いろいろなことが重なり朝7時に家を出て~深夜1時-2時に帰宅
土日含めて出社して週1くらいの頻度で会社泊。ピークは徹夜続き・・・
気持ちは乗らない、でもやらないと回らない。なんとかしないと。
いつの間にか1年が過ぎていました。
5年前のあの日
『適応障害』という診断が出て休職することになりました。
世間で言う、ある程度の大学を出て ある程度の会社に入って
社内評価はまずまずで昇格間近
マイホーム契約済み、妻は2人目妊娠発覚
当時の心境としては
「社会人生活終わった。。昇格なんてもはや別世界の話。
どうにかして生活していかないと・・・」
どん底に落ちたときは話もまともにできなくなりました。
絶望と屈辱、気恥ずかしさ
今こうして病気の前よりも良い未来が待っているとは全く想像できませんでした。
もし同じように苦しんでいる人がいるなら 一言伝えたい。
「万事塞翁が馬」 と言えるような未来を創っていけばいい。
かなりピンチだけど「機会」であり「チャンス」
だって もはやどん底だから。
まずは今を受け入れろ。そして泥をすすってでも生きろ。